とみるの日記

ツイッター:tomiru9 結婚も出産もしないよていの三十路過ぎ女子、気になったことや考えたこと、ときにどうしようもない気分を書いてるブログ。

ニートになって一年になる。

こんなことになるとは思わなかった。

 

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へんなきっかけで、東京でパニック状態になって、ゼイゼイ息が苦しくて、

動悸がとまらなくて、一日中這うように歩いて、不安で不安でつらくて

なんにでもすこしでも頼りたくて、

でも頼れるワラもなくて。

1日が長くて。

こいびとは一緒にいるのに遠くて。

 

それで、北陸の田舎に、1か月のつもりで帰省した。

1か月のつもりが、一年になった。

 

兄から振られたしごとはなに1つできなかった。

いつもこころが不安定で、

実家に居場所を感じられなくて、

どこにいても一日中、不安で現実感がなくて。

動悸と息切れがときどきやってくる。

 

背中から硬いアメーバが這ってきて、わたしを黒い不安で染めてしまう。

 

めんどくさいと思われるのがこわくて

ひとに嫌われるのがこわくて

たぶん、世界から溢れて捨てられるのがこわくて

なんとか起きて、食べて、それ以外何をしたらいいかわからなくて。

なにもしたくない本音を抑えてなんとか出かけてみたりして。

 

引きこもる勇気がなくて。

ほんとにダメになるのではないかとこわくて寝てもいられなくて。

 

 

それで、一年。

わたしの2016年は、空っぽだ。

 

年が明けて少し経つのに、まだなにをする気にもなれない。

 

じぶんが存在することが重たく感じる。

 

きっとわたしは、まだ周りの人たちの気持ちをわかってない。

 

眠れなそうで眠れる夜の人生訓

眠れなくなるのできっと、

あんまり深みにはまらないように考えたいペース配分だが、。

この世にわかることなんて本当にあるのか?という素朴な疑問を見かけてしまったのでやるせない。

 

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考えてみずにはおれないのでやるせない。やるせなす。

 

わかったような顔をしているひとばかりなのか?もしかして。

でもその人がわかったって感じてる物事は、その感情は、尊重したいんだ。わたしは。できるだけ。

 

だってその人の、生きてきた、生きていく、根っこの「自信」だったりするから。なにもわかってないぞ!って言っててガハハと生きていける人の方が、きっと、少ない。

 

でもなにひとつもわかってないことをわかってそれでも生きてる人のほうがちょっぴりすごいのかもしれないけど。

 

複雑そうに見えてなんでもないことを、いまわたしは考えてるふりしてるのかもしれませんが。

 

 

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なんにも考えられない。

ここにいていいのかわからない。

 

生きてていいのかわからない。

そりゃ生きてていいんだろうけど。

 

なにか理由がないと、生きてていい気がしない。

なにかじぶんなりの、具体的な、生きてる理由とか、おおきく言えば成すこと、みたいなものがないと自信を持って生きていられないような。

 

単に生きてるのがしんどい、だるいっていうことかもしれないのだけど。

 

判断がつかない。

どこでどうやって生きてればわたしは満足なのか。

 

そこが定まらないと動けないのだけど、

動かないとそもそも定まらないんだろうか。、

 

決めなきゃいけないこと。決められない気持ち。

どうしても、重大なことを決定しなきゃいけない事態になっています。

それはもう、生活のベースをどこに置くかという、人生にも関わってくる議題。

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美しい夕日がある、血縁という強い結びつきのある田舎町。

だけどそのぶん、旧習や特有の生活スタイルをもつ土地。

 

また一方は、都会の郊外。地縁のない、保証もない、「吹けば飛ぶような」と評された寝床。

だけど好きな人と新しい形を模索できそうな街。

 

自信と希望にあふれていれば、都会を取るのだろうけど。

 

わたしは自信もたりなくて、まだ自分の中の大事にしたいものの順位がわからない。

 

それを洗い直す時間が今なのかな、と思ってたのだけど。

 

何度も何度も考えたけども、決めたくない。決められないというか、決めたくない。

使えるもの、できそうなことは、全部利用していいとおもうわけです。

途中でどっちかが破綻したら、それまで。

 

 

仏教のおしえに、「安定は不安定のなかにある」みたいなことばがあるそうです。

同じように見えて、同じ時間てないわけで。

安定しない足場の上でどうやって暮らしていこうか、って考えてやってみたりしていて、それを外から見ると毎日同じように過ごしているように見える。

そんなことかな、と思っています。

 

吉田沙保里さんが負けたそうです

日本中が涙しているところに水を差すつもりはないんですが

個人的にはわたしは残念だとかいう気持ちがないです。

 

これまでたくさんがんばってきたし

いろんなことを成し遂げてきたんだと思うし

それだけで、十分すぎるほど十分なんだっていうふうにしか思えない。

何の責任も負う必要なんてない。スポーツだもの。

 

 

国の代表の選手って

いまこのときに、メンタルとか技術とかを最高値にもってくのにとてもがんばって、

それで結果を出してる競技者っていうことで。

 

その肩に、競技をやったこともない人間がにわかに騒いで

代表はこうあるベシ、ベシ!とかもう。

競技を観戦しながら、「あそこであのプレイはないわ!」とかもう。

セオワセ族。

背負わせるのが習性のいきものです。

 

競技者はまったく気にする必要がないと思う。

わたしなんかがいうまでもなく気にしてないかもしれないけど。

 

ただ、よくやっているなあ、たのしんできてね、それだけじゃなんでだめなのかな。

リオ。見てて思う。