病気に逃げることについて。
病気に逃げ込んでいてダメなやつだ、とじぶんのことを思っていたところがあるとおもった。
でも、ふと、「病気にでもならない限り甘えたり動きを止めたり休んだりしたらいけない」「だからいっそわたしのこと病気だと思ってください!」
っていうことを無意識に思っていたのかな、とおもった。
病気だから、なにもできないから、こんなわたしを許して、!って
周りのひとに懇願してたような気がします。
それは、わたしがわたしに認められてないからなんだな。。
休んでいいよ、ダルくてもいいよ、そんな自分もいていいよ、って、心から思えないから、病気に逃げるしかなかったのか。
それってすごくマジメなんだ。
わたしはダメ人間じゃなくてマジメ人間だったのかも。
ヤル気がおきないのも、自然なことで、
それでいいんだって、許したい。
もう許そう。
そしたらほかの人のことをほんとに心から許せるようになるのかもしれない。
調子がいい日。
朝の不安感が弱かった。
なぜだろう?今後の対策のために昨日と今日のメモ。
・地元を離れている
・日中一緒にいる人がいる
・昨日リンゴ酢を飲んだ
・一昨日、昨日と、手続き関係を処理しに行った
・暦の上で休日
・昨晩、ひとりでお茶をした
・今日は朝から洗濯、部屋の物を整理、掃除機がけ
世間が休みだと気がラクなのかな。ということはありそう。
それと、この3日間は連休かつ、私もとりあえずやることはないから。。
世間に合わせる、ということが深く深くアタマに根付いてしまってるのかもしれない。
自分軸をとりもどす。
無意識に、まわりに判断をあわせるように教わってきたわたしには簡単なことじゃない。
でも少しずつ、少しずつ、自分がどうしたいか?いまなにをしたいか?小さなことから判断していけるようになっていこうとおもう。
じぶんはじぶんでいいんだ。
すこしもわるくないんだよ。
ゆっくりでいいから、じぶんを信じてあげよう。
不安と恐怖感への対応の備忘録。
今日、いつものすごい強い恐怖感がふとやわらいだので、その前にしてたことをメモします。
・15分くらい、歩く。呼吸を深くしながら。
・食べたくなくても、タンパク質と野菜を中心に、食べる。
・ちょっとだけがんばってノートを広げて、なにがこわいか書き出してみる。
そして、先送りできることとか今はまだその段階じゃないことは、棚上げしてそのままでよしとする。
・用事をつくって階段を何度か上り下りしてみる。室内でもいい。
・外にでかける。小さな用事をしに。
これらでけっこう感覚は変わるんじゃないかな、って思います。
でも、時期によると思う。
一年前、すごくつらくてのたうちまわってたとき、無理やり外を歩いてみても、ほとんど変わらなかったから。
嵐のピークには、震えて泣きながらうずくまるしかないのかもしれない。
でも少しずつ、出てみようかな、やめよかな、という気持ちになってきたら、焦りを和らげるために効果があるかなと、実感した。そんな日。
からだの反応を見れば、必要なものがわかるかも。
私はどきどきしやすい。
動悸と息切れがはげしくて、すぐ緊張する。
お薬で、それを抑えてる。
ずっとそれがいやで、こわくて、この一年とくにすっごくつらかったんだけど、
phaさんの本を今日読みかえしてたら、
ふと、からだの緊張と苦しさがゆるんだ瞬間があった。
そのときの私は、ずーっとずーっと、地元での療養を終わらせて求職者訓練受けなきゃ、これから自活しなきゃ、でもこわい!泣きたいくらいこわい!働くのこわい!生きてるのつらい!という気持ちでいっぱいで。
でも、こうしたらいいかな、という具体的なものを見たり思い描いたりしたときに、そんなプチパニック状態になるんだったら、それはじぶんの求めるものじゃないってことなのかな、と思った。
phaさんは本の中で言う。
人それぞれの価値基準があって、それはぜんぜん別のもので、自分と自分以外の人たちはネコやイヌやヤギみたいに別の生き物だと思ってるらしい。
(持たない幸福論/pha)
だから人と比べても意味はないって。
人と自分を比べることは不幸のもとにしかならないって、なにかで読んだことがある。
それより自分がなにで幸福感を得られるか。
何してるときに安らぐか、たのしいか、充実感があるか。
それがみんなちがうもので。
似てるひとがいるならその人たちと居てもいいんだ。
自分の価値は、きっとそのなかにあって。
それで、からだが緊張したり焦ったり、追いつかなきゃ!って思ったりすることは、本当に自分に必要なことやものや、仕事なのかなって思い直してみた。
病的に緊張することなら、じぶんのからだが拒否してるのかもしれない。
すごく緊張するけどやってみたい!って思うことならそれはそれでそのひとのチャレンジなんだと思う。
でもそれが、つらいだけなら、他をあたってみてもいいんじゃないかな。
時間がかかっても、いいんじゃないかな。
じぶんのペースで、いいんじゃないかな。働くのも。
存在したくない。そう思うとき。
存在したくない。
そんなきもちが満ちてる。
ちょっとだけ、おもってみて。
あなたは、存在してていい。
そこに、いていいよ。いつも。
いていいよ。どんなじぶんも。
無条件だよ。!
いていいよ。
いていいよ。ここに。いていいんだよ。
生きててね。
そこで。ここで。
どこでも。
だいじょぶ。味方だよー。
なにもできないことにも意味があるとおもう。
生産的なことはなにもできないでいます。
なにかしなきゃ、でもなにをしたらいいのかさっぱりわからない。
わからないで、家事の手伝いも、いまなにをしたらいいか、とか、わからなくて、どんどんこなす母のとなりにいて自信をなくすばかり。
動悸がして不安で頭がいっぱいで、情けなさで食欲もあまりない。
でもね、生きてるから。
それでも、生きていていいんだよ。
それでぼんやり思った。
なにもできないじぶんでも、親は受け入れてくれてるんだってことを、いま、確認しに来てるのかなって。
これまでそう思えなかったから。、具合わるくなって、いま確認する特別なじかんなのかも。
ただ、わたしが存在してるってことで喜んでくれるひとやものごとがある。
誰でもきっとそうで。
わたしは、あなたにいてほしいよ。
そこに居てくれるだけでほっとするよ。
くるしいのによくがんばって生きてるね。
なかなか踏み出せないね。
うまくいかないこともいろいろあるけど、
わたしは、あなたがどんなかたちでも生きててくれたらそれで満たされる。
あなたのペースがあるから。
ぜったいに大丈夫になってるから。
いままでのぶん、たくさん自分を許そう。少しもわるくないんだから、ね。
味方。わたしは。