とみるの日記

ツイッター:tomiru9 結婚も出産もしないよていの三十路過ぎ女子、気になったことや考えたこと、ときにどうしようもない気分を書いてるブログ。

不安でつらい。根っこがグラグラしてるひと(わたし)たちには自分を心地よくしてあげる練習が必要。プラクティス。

不安があばれていますよ!

わけがわからない。なにも手につかないから余計不安が増大してごまかせないので違う循環に入っていかなくちゃ、

自分のために。

不安の理由を考えてしまうんだけど、それはあんまり意味がない気がしてきた。

脳内の現象の現れなんだろう。たぶん。

理由をつけないと落ち着かないから親のせいだとか閉鎖的な田舎で育ったからだとか掘ってってなんとか着地したかったのかもしれない。

いやわかんないけど。

わたしにわかんないなら誰にもわかんないし、きっとわかんなくてもいいんだよ。

それより、薬のちからを借りてでも、この苦しい時間を減らしたらいいんだよ。

考えなくていい。

 

 

 

彼がまた体調を崩して横になっている。

こんなとき、不安でおかしくなりそうで、ついイラついた態度をとってしまったりする。いろんなきもちが押したり引いたりして緊張がぬけない。

寝ることもできないんだぜ。つらいよね。

 

なにかしていてもいなくても、なんとなく安心しているのが、自己肯定感のある人だって、ツイッターで読んだ。

それはそのとおりだよね。きっと。経験したことない気がするけど。

それほんと欲しい。その感覚。

 

自分で決めるしかないんだ。「自分は存在していい」っていうことを。

 

わかってるつもりなんだけどね。

自分をもう許していいんだよ。

許す練習をもっとつづけよう。自分を許す、ゆるめる、練習。

すこしでも、たのしいなあ、心地いいなあと思える時間を増やしてあげる練習。

れんしゅうだよ。プラクティス。

体にいいものを食べるのもいいことだけど、食べたいって思ったものを食べたいだけ食べるのもたのしいことだからさあ。

ね。

大事なのは、好きなものを食べたり、ゴロゴロしたりしてる自分をゆるすこと!

やっぱりそこなんだよね。

 

 

そう、案外、わたしだけじゃなくて、この根っこのとこがぐらついたままなにかいいこととかやんなきゃいけないことをしてしんどくなってる人が多いんじゃないかって、おもう。

 

プラクティス。自分をゆるしてかわいがる練習。

子供のころから、これを身につけることをなんで教えないんだっておもう。まじで怒り。

大工で言ったら適当に盛った土の上に一生懸命へーベルハウスしてるだけじゃんていう。ダイワハウスでもいいけど。

人生楽しむどころじゃないんだよ。歩くたびに家揺れるんだから。

ぐらぐらしてつらいんですこわいんです、って言ったら、ちゃんと基礎工事終えてる人から「考えすぎるからだよ」とか「揺れてないよ、暮らせよ」なんて言われて。それはおまいの家のはなしだろってぃうやつ。

 

家のグラグラ度もそれぞれだからね。

でもぐらついてるのは事実なんだわ。

そしてぐらついてるのもしんどいのも、本人のせいってわけじゃないから。

不公平だけどまあ、完全に公平な世界ってないわけだし。それはほんと、私だって安心の環境で安心して育った人は羨ましいけど。それはまあとりあえず置いといて考える。

 

ぐらぐらするから不安だから、絶対安心そうなものにすがりたくもなるわけ。

海でボートに一人で乗ってて豪華客船が通ったらそりゃあ「乗せて~!」ってなるよね。

当然だよね。そういうことだから。

 

だから不安定メンタルになるのは本人のせいじゃないんだよね。

いろいろ絡んで、不安にさせるチカラになって働いてるんだよね。

 

 

朝の寝起きはいつも焦って、なんかわけのわからない恐怖感でなんとも言えない気持ちで目が覚めるんだけど、そのときはほんと終わってる気分。でも起きてとりあえず床に立っていられること、バナナが食べれること、テレビがつくこととかほんと、全部あたりまえなんだけどね、そういう「ふつう」に慣れて、さらに安定剤が効いてくると、まあとりあえずバイトができればふつーに生きるくらいできるじゃんって気分になって。

朝一とは別世界になるんだよね。場所も気温も服装もなんも変わってないのに。

 

だから、そうそう、脳内物質が作ってる世界なんだこの世は、って思い出す。

それぞれの人が、それぞれの脳内物質でそれぞれに世界を脳内再生してる。

じつはそれぞれ別の世界を生きてる。似てるようでいて。

そういうのが少しずつわかってきた。

 

わたしは理解が遅いんだよ。

タイムラグ女です。

先々のことの予測とか計画とかできないから。あほだから。

 

 

あほと言えば、こないだ中途半端な場所で印鑑を押す機会があったんだけど、

押した後、拭くものがないからそれまで通り手のひらでぺぺっとぬぐったんです。

そしたらそれを見た相手のひとが、

「な、いま何したんですか!?手で拭くなんて!」

みたいなこというので、品のないことして恥ずかしいわって思ってごまかそうとしたら思わず口から出た

「あ、いーんですわたし(の手)なんて(ヘラヘラ…」って言葉。言ってるそばからなんか急に悲しくなって自分でもびっくりした。

自分を紙くずみたいにくしゃくしゃポイしてたんだ、ってなんかわかって。

結局、その人はウエットティッシュもってきてくれてすごい恐縮した。

恐縮することじゃないんだけど。

 

 

とにかくプラクティスが足りないんだね。

わたしだけで練習しててもさみしいので、だれか一緒にプラクティス。しないかな。

自分を尊重する練習。自分の気分をよくしてあげる練習。

 

ここまでわかってるのに実行するのは難しいんだな。

だから同志って必要なんだろうね。