とみるの日記

ツイッター:tomiru9 結婚も出産もしないよていの三十路過ぎ女子、気になったことや考えたこと、ときにどうしようもない気分を書いてるブログ。

欅坂ってちょっとすごいよね、。。からの、ヘラヘラと苦しい場所から「降りる」ことにするわたし。の底辺生活。

アイドルなんて商業主義のお人形でしょ、なんて思っていたし、

いや今も思ってる。基本的に男女ともアイドルの楽曲はどんなに売れていてもほとんど興味がわいてこなかった。キライとかじゃなく、ふーん。踊って歌って体力あるなあ。ってかんじ。

 

なのに欅坂46は素直にいいなって思う。

思うんだけど、逆にメッセージ性が強すぎて、自分なんもねえ、とか、自分弱すぎ、とか思ってちっとも Cheer up されない。かなしい。

新曲の「エキセントリック」だっていいし、曲・詩ともに。

いちばんグッと(ヒヤッと)きたのは「不協和音」だったりする。

最初はこれみよがしなEDMで、うるさいなあと思ったんだけど。

コンセプトがガッチリ決まってて、ダンスとかPVの暗さとかが全部合ってると思う。

 

なんていうか普段わたしは見ないようにしている。自由に身体を、ことばを、自分で動かしてるように思っているけど、ほんとは粘着質なネットに絡まれているみたいにからだもこころも自由を制限されていること。

それを思い出さされる。

それに、わたしはできてないということも。不自由を受け入れ調整することも、反対に意志をしっかり持って「きちんと」はみ出して進むことも。

両方できていない。立ち往生している。

 

パワーでクリアしていくことも、受け入れて合わせていくことも、できてないなあって。そう思わされる。だから苦しい。

ここまで考えさせられるのは、考えてしまうわたしのちからかもしれないんだけどね。

 

欅坂の新曲「エキセントリック」の歌詞にあるように振り切れればいいのに

「変わり者でいい 理解されないほうがよっぽど楽だと思ったんだ」

「普通でいることって何だ? 僕は普通と思ってる みんなこそ変わり者だ」

 

そこまで言いきれれば少し楽なのかもしれない。

でもここでモヤッとすることで浮き彫りになるのは、じぶんが ”人のいうことに従って生きてきた” という、見たくない事実だったりする。

だから、純粋に自分の感覚でものを言うひとなんかをみて複雑な気持ちになったりする。

心がそんな状態に置かれたとき、自由で強いように見える相手を批判したくなるかもしれない。傷つけたくなるかもしれない。自分と同じ闇にひきずりおろしたくなるかもしれない。

それを実行しても、もっとむなしくなるだけなんだってこともどこかでわかってる。

だからやらない。

やらないけどモヤモヤが残ってくるしい。じゃあどうするか?

自分へ矛先を向けて、「できない・弱い自分が悪い」っていう着地点をみつけて、自分をまた責める。

 

 

だけど、その全部、全部あわせて人間だよ。

なにか「じぶんらしいこと」をしなきゃ生きていてはいけないわけじゃない。

「思い切り人生を楽しむ」ことも、「自分を通すために抵抗し続ける」ことも、

イメージが先行してしまってると思う。ほんとはそんなに激しい意味ばかりじゃない。

 

「どうしてもこれはつらいな」「どうしてもこの人といるとしんどいな」っていうことがあったら、ヘラヘラ適当に笑いながらフェードアウトしていったっていいんだってこと。

これだって十分「エキセントリック」だから。自分らしく生きてることになるから。

フェードアウトもできなくても、しんどい時間を少しずつ、ほんの数分ずつでも減らしていったり、ちょっとした気分転換からはじめたり。そうやって、苦しいじぶんを許していくことをわずかな行動で表していくこと。

そういうのは「あ、わたし、粘着ネットから降ります」の行為になるから。

 

少しずつ「降りる」人が増えていけば、結果、奮起して頑張りたいひとは集まって頑張って、草原を散歩したいひとは風の中でのんびり歩いて、それぞれがそれぞれのペースを尊重できるようになるんではないかな。

世の中なんて少しずつしか変わらないし(急激に変わったらそれはそれでこわい)、いろんなマイノリティがみんな生きやすくなるには道遠いのはまあ確かなんだけど、

ヌートリア的スピードでもちゃんと変わってきているから。

わたしが慢性的に鬱っぽくて、35にして「バイトだるい」なんて言ってるのも「ぼくはYESと言わない」の変化形なんです。

 

わたしはそんなに働きたくないので。

自分の生活費だけ稼げればあとは家で映画見て菓子パン食べてたい。

週に5日も稼働したら、収入はあるけどメンタルは落ち込み休日寝たきり座りっきりになることは目に見えてるから。

 

 

 

で、じゃあとりあえず生存するにはどうしたらいいか。

 

生活費稼ぐ方法なんだけど。「好きなことならできる」とか「好きを仕事に」とか言われること多いけど、好きなこともそんなにない。

だから「好きでも嫌いでもない 特にイヤでないこと」をしとけばいいと思ってる。

なにをするかは職業訓練終わってから考える。

 

わたしとしては月に8万円くらい稼げれば猫も養える。

資本主義の空で低空飛行を続けてきたので、税金類も低いし

今の時代、洋服だって数百円出せば中古で十分な耐久性のものが手に入るよ。

(メル〇リとリサイクルショップがあれば困らないし楽しい)

食費はもともと小食なのでそんなにかかんないし。

出不精なのでショッピングや旅行も得意じゃない。

食べたいものはないわけじゃないけど、食べにいくまでの面倒を考えるとそこまでして行きたくないわーとなってしまう。

こんな私を、きっと人は心配したり「人生たのしまないと損だよ」なんて(的外れに)励まそうとしてくれたりするけど。

 

でもこの欲求の薄さがもしかしたら「病気」っていうことにされてるポイントかもしれない。わたしが一番困っているのは、わけのわからない恐怖感・不安感・緊張 なんだけど。余談でしたが。

 

とにかく経済活動には向かない性格です。ちなみに原家族はみんなまっとうに消費生活してます。

自分でもどうしてこんなにだるい性格なのか、これまで10年以上考えてきたけど結局わからない。でも自分のせいでこんなに苦しいわけじゃないんだって、最近わかってきました。

 

人類の中でも、「経済活動の上では生産的でない」個体が一定数は生まれている。

それはマイノリティになっちゃうけど、生まれてくるんだからなにかしら理由があってのことだろう。生まれてきた時点で、数億の可能性のなかから選抜されてきたわけで。

その事実をすっとばして、根本的な「生まれたことへの自信」をくじくような空気がまだ地球の現代には残ってるから苦しいんだよね。

まだその段階だから、しかたない、大目に見てやろう 笑

 

お金が稼げるひと=えらい(立派な人物) っていう残念な公式が成立しちゃうまでの世の中で困りますね。でも少しずつ「降りる」人が増えて行けば、新しい流れっていうのは静かに表面化してくるしその文脈は止められるものでもないと思う。

 

 

地面がある程度固まるまでは 頭低くしてやり過ごすっていうのも全然ありです。

この次は「低所得女子の現状」みたいなこと書こうかな。